迷句 ― 2016年04月06日 15:13
名句をもじって迷句にする。とはいえなかなかそう簡単に出来るものではない。
今回はこの難題に挑戦してみようと思う。「なんだい、そんなことか」と言わずに目を通して欲しい。
先ずは手始めに、
痩せ蛙 食べてもいいさ ここに蟻
(痩せ蛙負けるな一茶ここにあり)
古池や 蛙と飛び込む 人の音
(古池や蛙飛び込む水の音)
あら!海や! 佐渡が横たふ 海女の側
(荒海や佐渡に横たふ天の河)
ちょっとイマイチかな?
それでは本番を
菜の花や 月は東に 屁は西に
(菜の花や月は東に日は西に)
この句は実に理にかなっている。嘘だと思うなら試してみて欲しい。
といったところでもう一句。
芋が香に のっと屁の出る 初屁かな
(梅が香にのっと日の出る初日かな)
こうしてみると「日」を「屁」に変えるのが一つのコツであると悟った。
もっともこんなことで悟ったのでは仏様に失礼かも。
なにしろ片や難業苦行をして悟るのに、片や屁で悟るのだから。
気にするな、そんなことはほっとけと言われても、ほっとけないのが仏の道である。
何はともあれ退屈しのぎではあるが、苦心惨憺、身をよじり句をもじり、もじ文字しながら名句を迷句に替えて人知れず喜んでいるこの頃ある。
最後にもう一句
妻の腹 ひねもすのたり のたりかな
(春の海ひねもすのたりのたりかな)
女房に怒られそう!くわばら!くわばら!
(とは言っても女房の旧姓が桑原という訳ではない。さらには女房を詠んだ句でもないので悪しからず。)
今回はこの難題に挑戦してみようと思う。「なんだい、そんなことか」と言わずに目を通して欲しい。
先ずは手始めに、
痩せ蛙 食べてもいいさ ここに蟻
(痩せ蛙負けるな一茶ここにあり)
古池や 蛙と飛び込む 人の音
(古池や蛙飛び込む水の音)
あら!海や! 佐渡が横たふ 海女の側
(荒海や佐渡に横たふ天の河)
ちょっとイマイチかな?
それでは本番を
菜の花や 月は東に 屁は西に
(菜の花や月は東に日は西に)
この句は実に理にかなっている。嘘だと思うなら試してみて欲しい。
といったところでもう一句。
芋が香に のっと屁の出る 初屁かな
(梅が香にのっと日の出る初日かな)
こうしてみると「日」を「屁」に変えるのが一つのコツであると悟った。
もっともこんなことで悟ったのでは仏様に失礼かも。
なにしろ片や難業苦行をして悟るのに、片や屁で悟るのだから。
気にするな、そんなことはほっとけと言われても、ほっとけないのが仏の道である。
何はともあれ退屈しのぎではあるが、苦心惨憺、身をよじり句をもじり、もじ文字しながら名句を迷句に替えて人知れず喜んでいるこの頃ある。
最後にもう一句
妻の腹 ひねもすのたり のたりかな
(春の海ひねもすのたりのたりかな)
女房に怒られそう!くわばら!くわばら!
(とは言っても女房の旧姓が桑原という訳ではない。さらには女房を詠んだ句でもないので悪しからず。)
玉(ぎょく) ― 2016年04月28日 12:56
金玉(きんぎょく)とは金で出来た玉。高価な物をいう。
金玉(かねだま)と読むと妖怪の意味になる。
事程左様に同じ字でも読み方で意味が違う。色々なことを調べているとなるほどと感心することが多い。
するとその事を書きたくなる。ちょっとまずいかなぁと思う事でもその面白さに負けてつい書いてしまう。それが玉に傷である。などと言うとまた「そんな所に傷をつけたら大変だろう」などと言われそうである。
変な意味では勿論ない。玉のような子というではないか?元々玉は良い意味で使われているのである。あくまでもぎょくの話。つまりは品の良い話なのである。
ある女性が韓国の金さんという人と結婚した。その女性の名がたまたま「たま」さんだったのだとプロの将棋指しから酒の席で聞いた。
不思議なもので、何度も聞いているうちに、頭の中が混乱してくる。ひょっとしてあれは本当のことかもと。
昔は「たま」という名も珍しくなかったし。今だに半信半疑である。その将棋指しはさっさとあの世に逝ってしまった。
ものを書く立場になってみると、あの時しっかりと確かめておけば良かったと思う。とは言っても飲みながら「たま!たま!」を連呼していたらそれこそ品格を疑われかねない。と考えるとやっぱりこれで良かったのかな。
でも二人で酒汲み交わす老後も楽しみだったのだけどなぁ。
金玉(かねだま)と読むと妖怪の意味になる。
事程左様に同じ字でも読み方で意味が違う。色々なことを調べているとなるほどと感心することが多い。
するとその事を書きたくなる。ちょっとまずいかなぁと思う事でもその面白さに負けてつい書いてしまう。それが玉に傷である。などと言うとまた「そんな所に傷をつけたら大変だろう」などと言われそうである。
変な意味では勿論ない。玉のような子というではないか?元々玉は良い意味で使われているのである。あくまでもぎょくの話。つまりは品の良い話なのである。
ある女性が韓国の金さんという人と結婚した。その女性の名がたまたま「たま」さんだったのだとプロの将棋指しから酒の席で聞いた。
不思議なもので、何度も聞いているうちに、頭の中が混乱してくる。ひょっとしてあれは本当のことかもと。
昔は「たま」という名も珍しくなかったし。今だに半信半疑である。その将棋指しはさっさとあの世に逝ってしまった。
ものを書く立場になってみると、あの時しっかりと確かめておけば良かったと思う。とは言っても飲みながら「たま!たま!」を連呼していたらそれこそ品格を疑われかねない。と考えるとやっぱりこれで良かったのかな。
でも二人で酒汲み交わす老後も楽しみだったのだけどなぁ。
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